命を輝かす人間
僕が、この言葉と出会ったのは、中学生だったとき。確か、二年生のときではなかったかと思う。
出身母校東宇治中学校の教育方針
この言葉は、出身母校・東宇治中学校(京都府宇治市)の教育方針を表す言葉です。
あるとき、この言葉を記した色紙が、教室の黒板の、向かって右側に、掲げられた。
今も何となくその光景が脳裏にある。
「命を輝かす人間」
初めてこの言葉を見たとき、本当に感動を覚えた。命を輝かす人間ってどんな人なんだろう? そんな人間になれるんだろうか? そうなれたら素晴らしいだろうな。そんな感じを覚えた。
毎日、教室で見るたびに、いつしか心に刻み込まれることになった。
それから、ずいぶんの時が経つ。
今振り返れば、その言葉が今日につながっているように思う。
今は神を祈る毎日
毎日、
「かむながら たまちはひたまへ」
と唱え祈る。
この言葉の意味は、普通、
神さまのお力がさらにさらにこの世の中に充ち満ちてゆき、そのおかげさまにより、この世が平安に守られ導かれて往きますように
とされます。
ところが、人とは何かを問えば、人は、神さまの分け霊(わけみたま)をいただいてこの世に生まれ出た存在です。神性・仏性とも言われる神と等しき性能をもつみたまを宿した存在。それが、人です。霊(ヒ)が留(トど)まる から、ヒトと言うとの説明もあります。
よって、「かむながら たまちはひたまへ」には、
どうか自らが自らの内に宿るみたまの霊力を発揮して世の中のお役に立って生きて往くことができますように
少し言葉を換えれば、
どうか自らが自らの命を輝かせながら世のお役に立って生きて往くことができますように
という意味合いもあることが分かります。
外在の神の御稜威を称えるだけでは十分ではなく、誰の中にも宿るみたまが霊幸ふ(たまちはふ)ことがめざされてこそです。これからは、人がその使命を自覚してその命を輝かして生きていくことがより求められるようになるはずです。
体験に意味がある
中学二年生だったのは、西暦で言えば、1976年。それから、42年が経ちました。中学から、高校、大学と進み、社会に出たとき、まさか自分が神職となるなど夢にも思いませんでした。
1987年4月に外資系のメーカーに勤めたものの、平成14年の母の死をきっかけに、平成15年の7月末で会社を辞め、平成16年の4月より伊勢にある皇學館大学で一年学び、平成17年4月に神職として、第二の人生がスタートしました。
しかしながら、中学のときに出会ったこの「命を輝かす人間」という言葉が、今振り返ると将来を暗示していたように思います。その長くもあり、短くもある私の物語の中から、体験し学び得たいろんなことを、ここで、分かちあおうと思います。
